佐藤愛子さんの書く「心の養生」①

黑田よしひろ

2016年05月10日 08:52


 □今更のことではないが・・・ あれやこれや考えたところで、ボケるものはボケる

のだ。死ぬものは死ぬ。仕方がない。すべて神のみ心のままだ。

 他人の無理解、噂、誹謗ヒボウ、屁ヘとも思わず生きてきた吾輩である。

 ボケてもの笑いになったからといって、今更のことじゃない。さんざん、迷惑を

かけて68年生きてきた吾輩だ。今更「迷惑をかけたくない」などと気取っても始まら

ない。 そう度胸を据えて、ボケるものは怖れずボケることにした。手に余るよう

ならさっぱりと殺してくれればいい。--と強がりつつ、その胸は蕭々ショウショウと

風が吹いている。 『我が老後』

 □睾丸コウガンの面目 かって明治の男であった我が父は私の不良兄たちに

向かっていったものだった。 「そんなことで睾丸の面目が立つと思うか!」

 男の睾丸には面目というものがあったのだ。だが今は睾丸はただの厄介

ものとなり果てて、ブリーフなる女が用いるようなシロモノの中に押し込められて

いる。  睾丸を解放し、睾丸に面目を与えよ!

 気概を失った男たちに対して、私がいえるのはそれくらいである。

   『上機嫌の本』  続く

 『佐藤愛子の箴言シンゲン集2 そもそもこの世を生きるとは』

  著者・佐藤愛子/発行・海竜社 より

 追記:当方の作成しましたエンディング・ノート(指示書)を差し上げます。

   当NPO法人高齢者・障がい者後見人の会までご連絡ください。

    73歳、高齢者・障がい者後見人のブログです。

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